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トーマス・エジソンの名言

 

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トーマス・エジソン

(1847年~1931年)

 

 

 

トーマス・エジソンの生涯

1847年2月11日、アメリカ中西部のオハイオ州ミランに生まれる。

 

オランダ系の父とスコットランド系の母には7人の子供がおり、トーマスは末っ子であった。トーマスが7歳のときに一家は中西部のミシガン州ポートヒューロンに移る。

 

少年時代のトーマスは異常なほどの知りたがり屋であり、小学校に入学すると授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発し、最終的に担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からわずか3ヶ月で退学を勧められ、中退した。

 

その後、トーマスは小学校の教師であった母から勉強を教わる。母は好奇心旺盛なトーマスのために家の地下室に様々な化学薬品を揃え、トーマスはそこで科学実験に没頭した。

 

1864年、17歳のトーマス・エジソンはカナダの駅で夜間電信係として勤務。何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るという仕事であった。

 

退屈な仕事に飽きたエジソンは、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明。エジソンは電信を機械に任せて寝ていたところを上司に見つかり怒られたが、これが彼の最初の発明となった。

 

1868年、21歳のときに初めて特許を取得。電気投票記録機に関するもので、議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できるものであった。


しかし、少数派の議員による牛歩戦術ができなくなるという理由で全く採用されなかった。エジソンはこの経験により、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感。その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになった。

 

1869年、22歳のときに特許を取得した株式相場表示機は業界から大いに歓迎される。その特許権は4万ドル(現在の約2億円相当)で買い取られ、エジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでゆくことになった。

 

1871年、24歳のエジソンは自社の子会社の従業員と結婚。3人の子供が生まれたが、多忙だったエジソンがあまり家に寄りつかなかったことで、妻は引きこもりがちになり、次第に体調を崩し、1884年にこの世を去った。

 

1877年、30歳のエジソンは蓄音機の実用化で名声を獲得。その後、ニュージャージー州にメロンパーク研究室を設立。研究所で電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを商品化。

 

エジソンは白熱電球の発明者ではないが(発明したのはジョゼフ・スワン)、電球のフィラメントに京都八幡の竹を使うなど、改良に注力し、家電、発電、送電までを含む電力の事業化に成功したことが最も大きな功績となる。

 

1886年、39歳のエジソンは再婚。その後、3人の子供をもうけている。

 

1887年、エジソンはニュージャージー州ウェスト・オレンジ研究室に移る。1893年に研究所の敷地内にアメリカ初の映画スタジオを設立し、白黒フィルムの制作をはじめる。1901年にはマンハッタンに、1907年にはブロンクスに新しい映画スタジオを開き、約1,200本のフィルムを制作した。

 

高齢となったエジソンは会社経営から身を引くが、彼は研究所にこもり死者との交信の実験(霊界との通信機の研究)を続けた。

 

1931年10月18日、エジソンは84年の生涯を閉じた。

 

(引用 wikipedia)

 

 

 

トーマス・エジソンの名言

人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ。

 

 

ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。

 

 

より良い方法は、常に存在している。

 

 

私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。

 

 

もし我々が自分にできることを全て実行すれば、自分自身に対して文字通りびっくりすることだろう。

 

 

まず世界が必要としているものを見つけ出す。そして、先へ進み、それを発明するのだ。

 

 

成功に不可欠なのは、肉体的にも精神的にも疲労を溜めずに、ひとつの問題にエネルギーを注ぎ込める能力である。

 

 

作ったものが計画通りに機能しないからといって、それが無駄とは限らない。

 

 

私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

 

 

わたしは、決して失望などしない。どんな失敗も、新たな一歩となるからだ。

 

 

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。

 

 

待っている間もがんばる人にすべてのものはやってくる。

 

 

私が成功することができたのは、仕事場に時計がなかったおかげである。

 

 

首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。

 

 

最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。

 

 

私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ。

 

 

完全に満足しきった人がいたら、それは落伍者だ。

 

 

発明のためには、優れた想像力とがらくたの山が必要だ。

 

 

われわれが何かを成し遂げようとしているとき、ルールなどない。

 

 

権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。

 

 

売れないものは発明したくない。売れることが実用性の証明であり、実用性が成功を意味する。

 

 

われわれは何事についても1パーセントの100万分の一も知らない。

 

 

ほとんどの人がチャンスを逃す理由は、チャンスは作業着を着て、大変そうに見えるからだ。

 

 

失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。

 

 

成功できる人っていうのは、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提を持って挑戦している。

 

 

私はこれまで、偶然のひらめきで、価値ある発明をしたことなど一度もない。全ての発明というのは、その発明に関わった人の想像を絶するような熱意が注ぎ込まれているものなんだよ。

 

 

朝6時に起き、夜中の2時まで働くこと。これを最初に描いた図面が形になるまでやり続けるのだ。すぐにはうまくいかなくても、睡眠時間を減らし、起きている時間は精魂こめて働くようにする。このルールを守れば、発明家として成功できるだろうし、もっと言えば、どんな分野においても成功できる。

 

 

一日8時間労働制に感じた危機感は、労働時間の不足などではない。働くということが、ただの決まりきった作業になってしまうということだ。

 

 

朝7時に起き、夜11時に就寝すれば、たっぷり16時間ある。大抵の人は一日中なにか仕事をしている。ただ一つ違うのは、彼らの仕事は非常に多岐にわたり、私はたった一つの仕事に全てのエネルギーを集中する点だ。

 

 

自分は毎日、18時間働くことにしている。

 

 

私の発明は、すべての人にとって役に立つ物でありたい。そして、世界の平和に貢献するような物でありたい。もし私の発明で一人でも人が死んだとしたら、私には人生を生きる意味も資格もない。

 

 

人から批判されることを恐れてはならない。それは成長の肥やしとなる。

 

 

もちろん、生まれつきの能力の問題もまったく無視はできない。それでもやはり、これはおまけみたいなものだ。絶え間なく、粘り強く努力する。これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる。

 

 

発明とは、それが人類にとって本当に必要なものなのかを判断する能力である。

 

 

最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。ただ努力だけという人は、エネルギーを無駄にしているにすぎない。

 

 

私は、ひとたび自分が正しいと思う道を歩きだしたら、ゴールに到達するまでペースを崩さない。

 

 

他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。

 

 

大事なことは、君の頭の中に巣くっている常識という理性を綺麗さっぱり捨てることだ。もっともらしい考えの中に新しい問題の解決の糸口はない。

 

 

困るということは、次の新しい世界を発見する扉である。

 

 

それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。

 

 

それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。

 

 

今取り組んでいることに関心を持ち、全力を傾けてそのことだけを考える。時計を気にせず、ひたすら続け、休みたくなったら必要なだけ休む。休んだあとは、また同じ集中力で作業に取り組む。熱心に働くことの価値と満足感を知っている人に世間は高い評価を下すものだ。

 

 

絶えず変化を求める気持ちと不満こそが、進歩するために最初に必要となるものである。

 

 

成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらないからではないだろうか。

 

 

人間は思考する努力を省きたいために、ありとあらゆる方便に頼ろうとする。

 

 

機械は生活を便利にした、将来はもっと便利になるだろう。しかし、用心しなくては人間が機械に使われるようになってしまう。

 

 

自然界の秘密を解き明かすのに、人間の理性に頼っていては駄目だよ。

 

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